息子のクラスの担任の先生から、たまに謎のメールが来る。
「授業で使う粘土が足りません。小麦粉で手作りするか、市販の粘土を分けてください」
「みんなでおやつを作ってピクニックをするための、マリークッキーが数枚と、コンデンスミルクが3分の1カップ分、足りません。お家にあったら分けてください」
このメールを読んで
なぜそんな微妙な量が足りない??
なぜ最初からきちんとクラスの子供分に充分な量を買っておかない??
授業で使う分なのだから、学校側で調達して学費で賄ってほしい!
そう思っていたのですが
だんだんわかってきました。
これは、計算ミスで足りなくなってしまったわけではなく
こうやって、僕が、私が、持っていくよ!という自主性と、家にあるから使って!持っているからみんなで使って!というシェアする心を育つのだということに気付きました。
親のクラス役員や係決めに関しても、最初に分担を決めるというものではなく、イベントごとにボランティアを募ります。はい!私がやります!という立候補制。
右へ習え、ボトムを合わせる、日本の真面目な教育に慣れている私には、持って行くことを義務にしてくれたり、役割分担を決めてくれたほうが、気楽…だったりして、こういうメールが来るたびに、日本人母たちで「これはどういう解釈をしたらいいのか」と考えてしまうのですが
みんな一緒じゃなくていい
やれる人がやればいい
困っている人がいたら分けてあげる
良いものを見つけたら分けてあげる
小さい頃からそうするものだと思って育つと、身に着く心なのだろうな…と思います。
余分に持っていったら迷惑かしら
英語ネイティブじゃないボランティアがいたら迷惑かしら
解釈が違っていたら恥ずかしい
やっぱり、奥ゆかしい日本人としては(笑)、そんな感じで引っ込み思案になってしまうことも多々あるよね…と母たち苦笑いしてしまう場面もあるのですが
いきなり変われるわけでもないので、徐々に、やっていけたらいいかな…と緩く考えている、一年生の母。
息子は今、全然、前へ、前へ!というタイプではないけれど、こういう学校教育の中で変わっていくのか?楽しみなところであります。
インター校にいると、アジアの中でも、日本人て大人しい民族だわ…と思うこと、しばしば。ま、これも、日本人の良さの1つでもあるのでしょうから、否定はしなくていいけれど。でも海外で暮らしていくなかで、自然に、気持ちや物をシェアすることは、学んでいってほしい。
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